「私の考える看護とは」 │看護学校から出題されるレポートの例について解説します。

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    By看護研究科 小日向 さくら











    画像名

    大日方さくら


    こんにちわ! 看護研究科の大日方 さくらです! こんにちわ! 大日方 桜です! 
    今回は、看護学生が1年生のときによく出題される「看護とは」のレポート例について解説解説させていただきます!






    学校から

    ☆文献を使用すること
    ☆自分の考えの補足すること。



    と条件が付いての「看護とは」のレポート作成になるかと思います。

    そこで学生さんは一番困惑するのは・・・・


    自分の考えに会う文献とはどのように見つければいいのか?

    ひたすら色々な文献を読むしかないのか?

    と頭を悩ませる時間が増えるかと思います。

    今回の記事では「看護とは」について例文を交えながら説明したいと思います。




    看護学生 画像

    1.看護とはのレポートを作成する前に自分の看護観はなんだろう?


    自分はどんな看護観を持っているのか?

    ナイチンゲールやヘンダーソンンなど代表的ですが、私は看護学生の時一番「こんな看護師になりたい」と思って、心がけたのは「心」です。

    看護技術も大事ですが、患者さんの社会的地位や家族関係、昔は戦争の話をされたりする方もおられました。看護とは、病気の症状だけでなく、その奥に隠されている情報も大事なんです。

    看護とは、沢山の役目があります。
    その中で、自分が興味を引くものを考えて文献検索していくといいでしょう!

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    闘病生活にある患者さんを中心に様々な職種が想いを寄せてケアを行なっています。その中で看護の役割とは・・・

    について考察できるといいですね。

    私たち看護師、看護学生さんが「看護とは」考える理由ってなんだと思いますか?

    学校の教員、教授から言われたから? 

    看護師になってからも「看護とは」については永遠のテーマとして考え続けなければなりません汗

    そのために「看護とは」考える理由についてしっかりと土台を考えなければなりません

    ①看護師は自分の思考を看護ケアという形で表現します。
    「看護とは」を再認識することで、より自分らしい看護に結びつきます。

    ②その姿が働いている同僚や看護学生さんにも描かれる自分自身がモデルともなります。


    2.看護とは何か 実際のレポートの例


    看護師は保健師助産師看護師法の第5条において次のように定義されている。
    「この法律において『看護師』とは、厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじょく婦に対する療養上の世話又は診断の補助を行うことを業とする者をいう。」

    看護師という職は、日々進歩する医療に対応できる知識と技術等を身につける必要があり、また人を扱う職業であって、誰にでも出来る仕事ではない。

    看護とは、患者の心身の面を支え、健康を取り戻す手助けをし、患者の意向を汲み取り、よりよい環境を作り出すことだと私は考える。

    日本での看護師の地位は低いようである。看護「婦」から看護「師」に変わったことには男女の意味をなくすため、資格をもっているためなど様々な理由がある。しかし、「師」に変わることに関しては医師や薬剤師ほど技術や知識を必要とするものでもないのであるから、「師」をつける必要はないと反対している医療関係者もいるという。

    また、医師は医療行為を行い、看護師はその補助、患者の世話を行うだけと思っている人々が多いという点も看護師が軽視される理由の一つだろう。

    しかし、看護師とは医師と患者をつなぐ、掛け橋にもなると私は考える。医師は患者より立場が上であり、患者は医師に逆らえないという以前の日本の医療背景が未だに少なからず残っているようである。そのため、患者の権利が様々な面で侵害されてきた。私は医療関係者の中で、患者と日常的に一番長く接しているのは看護師であると考える。だから、患者の感情や欲求等を理解し、望んでいる医療や看護を汲み取ることができる看護師が、患者のニーズを医師に十分に伝え、よりよい医療、環境ができるようにするためにも地位がより高くなるべきだと考える。患者の権利やプライバシー等が守られ、より良い環境が作られることによって、患者は検査、治療、入院等に積極的に協力することが可能になるとも考える。

    また、アメリカなど欧米の国の看護師と日本の看護師は異なっている。

    前者(アメリカについて)はRN、LPN、CANといった役割や地位がはっきりしており、独自の看護体系を持っている。個人主義、インフォームド・コンセント、ターミナル・ケアといった国の歴史、文化的背景から人権等を中心に考えられている。一方、後者は集団主義的な考えが強いことも関係し、独自で作りあげるよりも、欧米のよいところを研究し、まねて、体系を取り入れがちであると考える。これは決して悪いこととは言わない。しかし、両者は歴史、文化が異なっているのだから単にまね、よいものを取り入れるだけでは当然うまくいくはずがないのである。

    だから、日本に合ったものにしていくためには欧米のものを基礎とするのであれ、自分たちに合うように改善して取り入れることが必要であると考える。

    ヴァージニア・ヘンダーソンは次のように述べている。

    「看護の独自の機能は、病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)に資するような行動を行うのを助けることである。その人が必要なだけの体力と意志力と知識とをもっていれば、それらの行動は他者の援助なくても可能であろう。この援助はその人ができるだけ早く自立できるようにしむけるやり方で行う。」
     
    私は、看護を行う側が心身共に健康であることも大切であると考える。それは職業的にも健康を維持することが大切というのもあるが、看護とは人と接する職業であるという側の意味も含んで考えている。患者と接する中、表情や態度は敏感に察知されるだろう。それが時に、勇気づけることも、患者の精神状態を不安定にさせることもありうる。

    また、患者一人ひとりがそれぞれ異なった病気、悩みを持っている。看護師はそのような患者さんたちの話に耳を傾け、精神面のケアもできなければならない。たとえ、それが些細なことや間違った考え方、ジレンマを感じることであろうと、まず、聞いてあげることが大切なのである。フローレンス・ナイチンゲールは次のように述べている。

    「健康な人間は不思議な習性があって、自分にとっては『がまん』できる些細な不便が、病人にとっては重い苦痛のたねとなり、それで死期が早まることはないにせよ、回復を遅らせる原因となることに、まるで思いがおよばない。・・・こうして病人たちは、健康人から見れば取るに足りないささいなことによって、まさにその身は毒され、心は暗くふさぎこんでしまう。」
     
    看護の対象が人であることを常に頭に置いておくことが大切である。健康な人が普通にしていることが、病を抱える人にとっては困難、苦痛なこともある。看護師はそういった患者を見逃さず、汲み取ることもできなければならない。ここでは、患者を平等に、そして一人ひとりが違うことも理解し、その人に合った対応をすることも大切である。医療行為の補助、日常生活の補助だけでなく、患者の話に耳を傾け、精神面のケアを通し患者の生命を守ること、健康を向上させること、あらゆる病気への予防をすることも看護であると考える。

    現在、チーム医療という言葉が聞かれる。これは一人ひとりの患者の看護計画を立てる点でも、そしてより良い看護を行う点でも望ましく、必要な医療体系であると私は考える。

    患者にとって負担が少なく、効果的な治療は何か等を各専門分野から見ていき、意見を出し合い、共に看護計画を立てていくことが大切である。患者のニーズに応え、患者の健康を取り戻すことを第一に考える、何よりも患者さんのための医療、看護であることを忘れてはいけない。

    しかし、各専門分野の立場から患者に一番適切と思われる医療や看護は、時に食い違いが起こり、問題が生じることもあるだろう。患者にとってより良い看護をするためには、医師や自分の上司の指示が患者にとって最善の方法ではないと感じた時、迅速に改めて適切な処置をとるという判断をすることが大切である。常に看護行為を冷静に見直し、他の医療関係者とともにその行為の適正を確認、批判し合う。

    そういった行為、判断が全体としての大きな誤り、医療事故等を少なくし、また防ぐ方法であると私は考える。
     これまで自分の看護への様々な考え方を述べてきたが、これら全てを看護の仕事をする上で意識し、守ることはできない。

    なぜなら、場合によっては患者の意志、権利よりもかけがえのない生命を救わなければならない状況があるからである。看護業務で直面するジレンマは多々あるだろう。

    しかし、患者、医療関係者や自分を支える人々と話し合い、考える場を持てるようになれば、ジレンマを解決する手がかりが見つかったり、看護師として成長をしたりもするだろう。そして、そういったことができるようになることで、患者中心のより良い看護が実践できるようになると私は考える。

    一般論のみでしか記述してませんので、自己の看護観を加えてください。


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